銀座クラブが誕生するまでの銀座の歴史を知る

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銀座クラブが誕生するまでの歴史を知っておきましょう

銀座のクラブで働くことを希望されてお問い合わせをいただくことが非常に多いです。そして面談の際になぜ銀座を希望するのかお聞きすると、
「銀座は客層が良いから」
「銀座はお給料が高いから」
「銀座のクラブは歴史があるから」
などの理由を語る女性が非常に多いです。

これは全くその通りですが、そもそもなぜ銀座には40年50年と営業を続ける歴史のある高級クラブが多数存在するのでしょうか?

他のエリアより日給が高いのは事実ですし、席についただけでお客様に50000円前後の料金が発生(これがキャバクラでいうセット料金)するという高額のお店が大半なのも銀座の特徴です。

同様に客層の良さもナイトワークの中では間違いなく日本でトップであると言えますが、それだけの社会的ステータスあるお客様がなぜ銀座に遊びに来るようになったのでしょうか?

この辺りの理由を知るためには銀座が今のように日本でも有数の高級志向のショッピング街として発展したプロセス、高級クラブのような大人の社交場として発達したプロセスを知る必要があります。

そこで今回は銀座に多数の高級クラブが誕生するに至った「銀座の歴史」について解説したいと思います。

高級クラブでホステスとして働くことには直接関係のあるお話ではありませんが、自分が働く街の歴史を知っておくとお客様とお話をする際の話題にもなりますし、自分が今銀座のホステスとして働いていることが一つのステータスであることもご理解いただけるかと思いますので参考にしていただければと思います。

江戸時代の銀座

江戸時代の銀座
銀座が今のようなステータスのある街として認識されるようになったきっかけは江戸時代にさかのぼります。

地名の由来になる「銀座」という名前は「銀貨幣鋳造所」(銀貨を製造)を作っていた場所のことを言いまして、江戸時代より前には京都や大阪、長崎、駿府(現在の静岡県)などにありました。
(当時は銀貨が貨幣として流通していました)

これが江戸(東京)に幕府が置かれて、日本の中心となったことから現在の静岡県に置かれていた「銀座」が、1612年に江戸に移転しました。

銀を特権的に扱う(貨幣を作るのですから特別です)銀座は相当な利益があり、銀座の役人の不正事件が多発したことから、銀座そのものは1800年に蛎殻町(現在の日本橋人形町一丁目付近)に移転させられましたが、呼び名としての銀座は当地の通称としてそのまま残って今も地名として残っています。

またその後の江戸幕府崩壊によって、明治2年に「銀貨幣鋳造所」としての銀座は廃止され、正式に当時の町名(新両替町)に変わって、銀座は町名として使われるようになりました。

つまり銀座は当初、貨幣を製造する特権的な街として位置づけられていたのが銀座の歴史の始まりです。現在のハイステータスな街の由来はこの辺りから始まっています。

明治・大正〜昭和初期の「カフェー」が銀座クラブの始まり?

昭和初期の銀座のカフェーのイメージ
その後しばらく経って明治の終わりくらいに「カフェー」という形態のお店が銀座にも誕生します。

ここでいうカフェーとは、現代のカフェとは意味が異なっています。(フェーと語尾を延ばしているだけではありません)

明治末期〜大正時代のカフェーには二種類ありまして、

  • コーヒー類を提供する
  • 酒と食事を提供し、女給さんが話し相手になってくれる(「女性給仕」として接客をする若い女性がいたのが特徴)

コーヒー類のみを提供するお店は「純喫茶」と呼ばれました。女性の給仕が話し相手となってくれる方のカフェーは喫茶店の業態とは異なるため「特殊喫茶」とも呼ばれました。

明治時代の末期頃にカフェーが開店するようになり、明治44年に銀座に開店したカフェー・プランタンがカフェーの第一号と言われています。カフェー・プランタンは、1階がバー(サロン)、2階がレストランという構造で、洋画家(黒田清輝や岸田劉生ら)、作家(森鴎外、永井荷風、北原白秋、島村抱月ら)、その他にも歌舞伎役者ら文化人が集まって、会話に花を咲かせる場になっていました。

そんな風に各界の有名人が集まるお店で女性が給仕として話し相手になってくれるという空間は既に現代の銀座クラブの土台が完成していたとも言えます。

カフェーのイメージ

この後関東大震災などで東京の街が壊滅してしまいますが、その後復興して昭和初期~戦前頃の銀座などでブームになっていたのが「カフェー」なのですが、これは明治〜大正に発達したカフェーとは若干違います。

当時多数存在したカフェーの中で一例を挙げると「カフェータイガー」というお店が有名でした(1924年開店)。

カフェータイガーのアピールポイントの一つが「女性給仕の濃いサービスと美貌」だったそうですから、現代の銀座の高級クラブにも通じる部分があります。

「濃いサービス」というのは今の銀座の高級クラブとは内容が違うのですが、これについては触れないでおきます。気になる方は「カフェー 大正」「カフェー 昭和初期」などの単語で検索していただくと、この時代の「カフェー」というものがどういうものかわかります。

そしてこのようなカフェーにおける「女性給仕」のことをホステスと呼ぶ場合もあったそうです。また在籍する年齢も少し違って「カフェータイガー」のホステスは、ほとんどが16~25歳くらいの女性であったそうです。

ちなみに現在では18歳以上(店舗によっては20歳以上)でないとクラブで働くことはできないので注意してください。

現在の高級クラブのホステスの平均年齢は、20代半ば〜後半くらいの女性が在籍しているお店が主流ですが、当時は10代半ばになれば一人前という風潮だったようで、「カフェータイガー」のホステスは全体的にかなり若かったそうです。

戦前の銀座のイメージ

そして余談になりますがカフェータイガーの常連客には有名人も多く、例えば当時の有名作家である永井荷風が常連客として有名です。

後年永井荷風はカフェーをテーマにした小説を書いています。
その小説に記されている内容によると「カフェーが好きでもあるし、嫌いでもある」という気持ちを抱いていたそうで、ホステスと接する際の駆け引きなどを含めた複雑な想いの中でカフェーに通われていたのではと思われます。

永井荷風はほんの一例に過ぎませんが、現在も作家だけではなく、政治家や芸能人、一流企業の経営者や重役クラスなどが銀座の高級クラブでは主要な客層となっています。

高級クラブが誕生する前の「カフェー」の時代から有名人や富裕層が銀座に夜遊びをしに来るという風潮があったことがうかがえます。

第二次世界大戦後の銀座

昔の銀座のイメージ
第二次世界大戦が始まってしまうと、さすがに銀座でさえも高級感のある街という雰囲気は失われてしまいました。東京大空襲が原因で、東京は壊滅状態なってしまったのですから当然と言えば当然です。

ところが幸いにも銀座7~8丁目、つまり現在多数の銀座の高級クラブがあるエリアは比較的建物が残ったのもあり、銀座は復活していきます。

終戦記念日である1945年8月15日からわずか1年後の1946年には、銀座に高級志向のお店が誕生しています。

これらのお店は大半が米軍関係者が主なお客様であったようです。癒しを求めてお店に来店される米軍関係者をもてなすのは日本の若い女性でした。

この時代になると昭和初期のような「濃厚なサービス」というのは次第になくなっていき、純粋な大人の社交場になってきます。

時代背景を考えれば米軍関係者の懐事情はお分かりでしょうし、米軍と一緒に日本の経済復興に関わった方々は、一種のバブル景気の最中にあったとも言えるでしょうから、経済的にかなり豊かであったと考えられます。

この時代から富裕層が銀座という地に向かってこぞって集結するようになったと言えるかもしれません。

バブル崩壊、リーマンショック、東日本大震災を経ても不滅の銀座クラブ

戦後復興〜高度経済成長を経て世界を代表する経済大国に日本がなるのに合わせて多くの銀座の高級クラブが誕生していきます。代表例を挙げるとクラブ麻衣子ファーストクラブサードフロアなどの有名老舗クラブはこのくらいの時期に誕生しています。

その後1991年頃にバブルが崩壊し、日本が本格的に不景気になってくると徐々に銀座の高級クラブの数が減り始めます。

バブル経済のイメージ

バブルが弾ける前までは、「経済レベルが下がる人が増加する」というイメージが日本人の大半にありませんでしたが、バブルが崩壊したことによって「高級クラブに通っている方々」というお金のかかる遊びを楽しむ人が一気に減少することになります。

その後少しずつ景気が回復していくわけですが、2008年に起きたリーマンショックの影響で、再度銀座の高級クラブは減少していったのです。

そして現在に至るわけですが、今は銀座にあるクラブの数は全盛期の半分くらいとなりました。

私服キャバクラのイメージ画像3

景気とは直接的な関係のない出来事によっても銀座のクラブは減少しました。2011年に起きた東日本大震災です。

「銀座のクラブの常連」と言えるような会社の上役、政治家、芸能界の大御所などの多くが、震災後の特殊な対応をすることになり、なかなかクラブを訪れなくなったとされています。
震災だから、遊んでいるのは不謹慎だという世間のイメージによる影響もありましたし、接待絡みのお仕事で銀座のクラブを訪れたとしても、不謹慎ではないかと誤解を招くとされ、自粛ムードが強くなっていったためです。

同年のゴールデンウィークくらいには、自粛ムードもなくなってきたわけですが、客足が戻らないクラブが少なくなく、店舗の閉店が後を絶ちませんでした。他業種に活路を見出して銀座のクラブの経営を辞めてしまうオーナーも多かったとのことです。

しかし現在の日本の経済事情であっても、生き残っているクラブは立派に経営が成り立っているのですから、銀座の高級クラブが持つ能力は計り知れないと言わねばなりません。特にバブル崩壊以前から営業を続けている老舗クラブの「底力」は何十年経営を続ける昼職の会社と比較しても互角以上のものがあります。

お1人様が支払う平均客単価は数十万円が当たり前で、ホステスのお給料も平均日給が30000円~50000円とも言われる高額です。

ときには娯楽でときには、仕事上の接待で、ときにはプライベートでとお客様の様々なニーズに応じておもてなしの時間を提供するのが銀座のクラブです。

そのような著名人、富裕層のお客様が来店されても恥ずかしくない接客ができる女性のみが銀座のクラブのホステスとして働くことができる、いわばナイトワークの世界でも特権的とも言える場所が銀座のクラブです。

既に働いている銀座のホステスの女性にはこのような環境で働けることに誇りを持って欲しいですし、これから銀座のクラブを目指そうという女性には入店することも大変だし入店後も大変ではあるが銀座のクラブで働くことで女性としてのレベルを上げることにもつながり、お客様とのお付き合いは一生の財産になることが間違いない空間ですのでどんどん挑戦して来て欲しいです。

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出勤前のホステスのイメージ
 今回は銀座に高級クラブが誕生するまでのプロセスの説明として銀座の歴史について紹介してみました。

 このように江戸時代から銀座の歴史をたどってくると長い年月を経て銀座がステータスのある街として発達してきたのがお分かりかと思います。

 繁華街としては同じように夜の街として有名な新宿や渋谷、上野などとは全く違う銀座独自の「高級路線、高級クラブの街」として発達を遂げたプロセスを知っていただきたく今回の記事を書きました。
 
 読んでいただければ「銀座の高級クラブでホステスとして働く」ということが他の街のキャバクラなどで働くこととは全く違ったステータスになることもご理解いただけたかと思います。

 初心者には永久指名で男性客と1対1で接客をするのではなくママや係の女性を中心としたグループで接客するという銀座クラブ独自の接客スタイルに戸惑うこともあるかもしれません。

 しかし銀座の高級クラブで働くという経験はただの高収入のナイトワークで働く以上のものを提供してくれます。

 昼間の仕事で誰もが名前を聞いたらわかるような一流企業で働いたのと同じようなステータスを与えてくれるでしょう。

 その証拠としてバブル崩壊や東日本大震災のような経済危機や災害にも左右されず40年、50年と営業を続ける銀座のクラブが多数存在することがナイトワークの世界の中でも銀座が特別なポジションにあることがわかります。

 ついついナイトワークの世界は昼職の世界より下であると勘違いしてしまう人も多いですが、世の中を見て40年、50年と経営を続けている昼職の会社がどのくらいあるでしょうか? 

 他のエリアではまず見ることのない何十年生き残っているお店が多数あるという事実も銀座のクラブの社会的なステータスを物語っていると思います。

 もちろん銀座のクラブというステータスのある世界で採用をもらうことは簡単ではありませんし、入店してからも銀座のホステスとして活躍していくには努力も必要です。

 ですがナイトワークの世界で昼職以上のステータスを得ることができる世界です、頑張った分だけそれが一生の中で貴重な経験、財産として残ると思います。

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